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名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和60年(タ)11号 判決 1987年3月27日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

長屋誠

高和直司

小林修

被告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

青木栄一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告とを離婚する。

2  原、被告間の長女カズ子(昭和四二年九月二二日生)、二女ツギ子(昭和五一年一二月一五日生)の各親権者を原告と定める。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告と被告は、昭和三九年一二月一〇日婚姻の届出を了した夫婦である。

原、被告間には、昭和四二年九月二二日長女カズ子が、昭和五一年一二月一五日二女ツギ子が出生した。

2  (婚姻を継続し難い重大な事由)

(一) 原告は肩書住所地で理容店を経営し、被告はそれを手伝つていた。

(二) ところが、被告は、昭和五五年夏ごろから宗教にこりだして、仕事の途中、スーパーに買物に行くと嘘を言つてしばしばキリスト教の夜の集会に出かけ、集会に行くことばかりに気をつかつて、「もつと修練して欲しい」という原告の言葉も無視して理容師としての技術を磨こうとせず、店の掃除も真中を少し掃く程度となり、タオルの洗濯も十分でなくなり、閉店間際になるとそわそわとして、午後八時まで受付けている予約客を勝手にことわつたりした。

(三) また、二階の部屋に閉じこもることが多くなり、原告が忙しいときに手伝つてもらおうと二階に通じる呼出のチャイムを鳴らしても被告は降りて来ず、洗髪などの下仕事をほとんどしなくなつた。

(四) 被告は、夜中にお祈りをし、そのため原告は目が醒め、睡眠不足で翌日の仕事に支障をきたし、二女ツギ子も夜泣きをするようになつた。

(五) 被告は、昭和五六年春頃、原告に相談もせず洗礼を受け事後報告もしなかつた。

(六) 被告は、昭和五七年六月一五日、原告の求めに応じ、信仰をやめ、キリスト教の集会へ行くこともやめて理容の仕事や家事に専念することを誓い、自ら教会関係の書物等を焼却したが、しばらくすると右誓いを破り、同年八月一一、二日頃実家へ帰つた。同月中旬ころ近親者立会のもとに原、被告間の話合がもたれたが、被告は家庭よりはキリスト教を信仰する道を選び、以来原、被告の別居生活は確定的となり、長期間に及んでいる。

以上によると、原、被告間の婚姻関係は現在では完全に破綻しており、右破綻も一方的に原告の責に帰すことのできないものであるから、原告は民法七七〇条一項五号に基づき被告との離婚を求める。

3  (親権者の定め)

原、被告間の子カズ子、ツギ子は現在原告に養育されており、原告の母も一緒に円満に暮しており、子らも原告と暮すことを望んでいる。子らの将来の幸福のため原告を子らの親権者と定めることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実中、

(一)は認める。

(二)のうち、被告が、昭和五五年夏頃からキリスト教に帰依するようになつたこと、原告に隠れて集会に出席したことは認めるが、その余は否認する。

被告は、月平均一、二回程度、日曜日か水曜日の夜の集会の終り近くに、仕事を終え、片付けがすんでから出席したにすぎない。

(三)は否認する。

(四)のうち、被告が就寝の前に小さな声で祈つていたことがあることは認める。しかし、被告の祈りは睡眠を妨げるようなものではなく、又ツギ子の夜泣きは被告の祈りと関係はない。

(五)の事実は認める。

夫婦和合のためには、原告に事前に相談して、その了解のもとに受洗した方が好ましいが、反対が予想されるときに無断で受洗することは非難されるべきことではない。

(六)のうち、昭和五七年八月から原、被告が別居し現在に至つていること、子らが原告のもとにいることは認めるが、原、被告間の婚姻関係が破綻しているとの点は争う。

被告は、原告から「イエス様をとるか、家族をとるか。」と二者択一をせまられ、一度は信仰を棄てることを決意したものの結局棄てることができなかつたところ、原告から家を追い出され、子供に会うことも家に近づくことも許されない状態におかれていた。しかし、被告は、原告及び原告の母及び二人の愛児と共に平和な明るい家庭生活ができることを切望している。

三  被告の主張

仮に、原、被告間の婚姻関係が破綻しているとしても、被告は、夫婦間の協力義務に反するような対外的な宗教活動をしたことはなく、ただキリスト教信仰をもつことの容認だけを求めたのに対し、原告はキリスト教信仰自体を棄てることを求め、前記のとおり、信仰を棄てられない被告を一方的に追い出した。したがつて、原告は有責配偶者であり、原告の離婚請求は棄却されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

争う。

第三  証拠<省略>

理由

一<証拠>によると、原告と被告は、昭和三九年一二月一〇日婚姻届を了した夫婦であり、その間に昭和四二年九月二二日長女カズ子、昭和五一年一二月一五日二女ツギ子がそれぞれ出生したことが認められる。

二<証拠>によれば、次の事実が認められ、原告、被告各本人尋問中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原、被告は、いずれも理容師であり、原告は肩書住所地において理容店を経営(午前八時から午後八時まで)し、被告も結婚以来、家事は主として原告の母にまかせ、理容店を手伝つてきた。

2  被告は、昭和五五年四月二二日、キリスト教信者である弟院南正彦に誘われて日本同盟基督教団豊橋教会(昭和六一年四月一日から「日本同盟キリスト教団ホサナキリスト教会」と改称。)の特別集会に参加し、以来キリスト教に心ひかれるようになり、同教会の日曜日の夜(午後七時三〇分から午後九時まで、但し一二月から三月までは午後七時から午後八時三〇分まで。)の伝道会や水曜日夜(集会時間は伝道会と同じ。)の祈祷会にときどき出席するようになつた。

原告は、当初被告が教会へ行くことを黙認していたが、被告がひまをみつけては聖書などを読むため二階へ上り、呼んでもなかなか降りて来ないことがあつたり、午後八時まで受付けている予約を断つたということを客から聞いたり、店の後かたづけもそこそこに、教会へ出掛ける被告の態度にだんだんと不満をつのらせていき、昭和五六年一〇月頃には被告が教会へ行くことを禁ずるようになつた。しかし、被告は教会にますますひきつけられ、スーパー「ヤマナカ」に行くなどの口実をつくつては外出し、一か月一ないし三回程度(<証拠>によると、被告がはじめて教会へ行つた昭和五五年四月から最初に別居した昭和五七年六月一五日まで約三二回、出席しなかつた月もある。)遅刻しながらも夜の集会に出席し、昭和五六年三月一日原告には告げないまま長女カズ子とともに洗礼を受けた。

3  昭和五七年六月二日午後三時頃、原告は、被告のそわそわした態度に腹をたて、はさみをつきつけて「聖書を燃やすか家族をとるか。」といつてせまり、危険を感じた被告は近所の乙川宅へ逃げ込んだ。午後九時すぎ、原告の怒りもおさまつているものと自宅に戻つたところ二女ツギ子がひとりで入浴していたので、一緒に入つていたところへ原告が来て激昂し、被告を裸のまま外へ放り出した。被告は、止むを得ず豊橋市内にある実家へ行つた。翌日母枡枝につきそわれて自宅に戻り、手をついて信仰を認めてほしい旨頼んだが、原告はその右腕を蹴とばし、被告の弟院南裕和を電話で呼び寄せ、被告を連れ帰らせた。一週間後被告は前記教会の牧師森川昌芳につきそわれ自宅まで行つたが、原告は被告を見るや店のブラインドをおろして入れようとしなかつた。その一、二日後被告は教会員の伊藤松広につきそわれ、自宅へ行き原告と話合つたが、原告は信仰を棄てないと家にはいれない旨主張するのみであつた。

4  昭和五七年六月一五日、被告の実家において、原告と被告、被告の母枡枝、叔父戸田和男、弟裕和、正彦が集まつて話合が持たれたが、ここでも原告は、信仰をやめてほしい、やめるなら宗教関係の書物等を処分し、教会関係者とは会わないでほしい旨申入れて外に出て行つた。そのあと被告は身内の者らと話合つた結果、家族特に子らと離れることは堪えられないとの思いから原告の申入れを受入れることを決断した。同日被告は、自宅へ帰り、その晩キリスト教関係の書物等を一切焼却した。

5  しかしながら、被告は、結局信仰を棄てることができず、三週間位後には正彦から聖書を貰い、原告に隠れて読むようになつた。

昭和五七年八月一一日、被告は、子供部屋で聖書を読んでいるところを原告に見つかり、再び実家へ帰された。同年九月初め頃、森川牧師が原告を訪ね、話し合つたが原告の気持を変えることはできなかつた。

6  昭和五七年九月一四日、戸田和男宅で、原告、被告、原告の理容の先生である関鉄一夫婦、戸田の息子である戸田功夫婦、枡枝らが集つて話合つたが、原告は「宗教をとるか子供をとるか。」と二者択一をせまり、被告は「考えさせてほしい。」というだけで物別れに終つた。

7  原告は、昭和五七年九月頃、関鉄一から書いてもらつた別居同意念書(乙第一号証)のコピー五通をとつて、原告及び関が捺印の上戸田和男の承諾をとろうとしたが拒絶されたため、同月二八日頃、枡枝宅の郵便受に入れた。

8  被告は、別居後、月一回位は子供らと会い、原告には手紙を出したり、家族にプレゼントを送つたりしたが、プレゼントは送り返された。

三以上認定の事実によると、原、被告間の別居生活は四年余りに達しているが、その別居の原因は、原告が被告の信仰を認めず、信仰か家庭かの二者択一をせまり、被告がどちらも棄てられないとの態度をとつたことから、原告が被告を追い出して、戻ることを拒否していることに基くものであること、同居中の被告の宗教活動といえるのは、月一ないし三回程度の集会に出席すること、それも仕事に差障りの少い夜の集会に限られていたこと、ときどき部屋にこもつて聖書を読んだり、就寝前に小さな声でお祈りをする(この点は弁論の全趣旨より認められる)という程度であり、教会の集会時間等からみて、仕事に幾分差支えた面があつたことは推認できるけれども、被告の行為は家事や仕事を顧みなかつたというような常軌を逸したものとは認められないこと、被告は別居後も原告との同居を強く望み、子らとも交流し、原告に対しても手紙を出したり、プレゼントをしたり家に帰れることをひたすら願つていることが認められ、原告が被告の信仰を許容さえすれば、夫婦共同生活の回復は可能であると認められること等考え合わせると、原、被告間には民法七七〇条一項五号の「婚姻を継続し難い重大な事由」があるとは認めることはできない。

四よつて、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官岡村道代)

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